エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

0654:午前3時30分

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       ◆◇◆    午前3時30分    ◆◇◆ 654号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

7月末から9日間、大峰山の山の中に行っておりました。
到着早々、持参したパソコンが動かなくなり、滞在中は強制的にパソコンから離れる
生活に。

ヴィパッサナー瞑想に参加したときには、事前にそれなりに準備をしてパソコンから
離れましたが、いきなりパソコンが使えない生活に・・・。
場所が場所だったこともあり、すんなりアナログ生活になりましたが(とはいえ、
スマホは時々覗いてましたが)、パソコンやスマホにいかに意識をとられているかを
実感。

パソコンからもスマホからも完全に離れ、目の前のことだけに心を向けられる時間を
意識して作らないと、完全に自分ひとりになれない気がしました。
それは、究極の贅沢な時間かもしれません。

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今朝、知り合いがフェイスブックの投稿で、今日8月12日の『坂村真民一日一言』の
詩は、【気に生きる】だと、下記の詩を紹介していました。

【気に生きる】
宇宙の気が
一番生き生きと動くのは
寅の一刻
午前三時三〇分である

心に悩みを持つ人よ
体に病を持つ人よ

宇宙無限の力をいただき
気に生きる不思議を体得しよう

-------------------------------------------
坂村真民一日一言より


そして彼が坂村真民先生の詩に出会ったのは、私が2014年の2月のブログで、真民先生の
『詩人の颯声(さっせい)を聴く』の本を紹介したのを読んだからだった、とも書かれて
いました。

先週滞在していた大峰山では、水行や朝の祈り行のために4時前に起きることが何度も
あったのに、横浜に戻ったとたん、すぐに元の寝坊助に逆戻り。
投稿して下さった方は3年前から毎朝夜明け前に起きて、朝日の写真を撮り続けている
そうですが、朝のその時間が、どれほどその方の魂の栄養になったことでしょう。

太陽そのものが昇る瞬間、大地に光が注がれる瞬間も
大好きなのですが、夏場であれば、午前3時台、4時台の
空の美しさはもう言葉にできないくらい

・・・だと書かれていましたが、その夜明け前の美しさを先週、感じたばかりだという
のに、すぐに睡魔優先になってしまう私とはえらい違いです。


今日は、そんな自分に喝を入れる意味でも、2014年に投稿した下記のブログをご紹介。
これを読んで、午前3時30分前に起き始められた方がいらしたら、教えて下さいませ-。

~ちなみに、真民先生は、こういう方です~
一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる
生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒し
と勇気を与えるもので老若男女幅広いファン層を持つ。



2014年2月19日投稿より一部引用


(前略)

夜明け前のひとときがいかに人間にとって大切な時間か、何度も真民先生は話されて
います。この対談のときには真夜中12時半に起きていると・・・。 

夜中12時半といえば、私はまだ起きている時間。夜明け前どころか、世が明けるまで
まだ数時間あります。夜中3時半まで起きているのは得意なんですが、そうではなく、
夜明け前からその一日を始めるってことですからね。

P29~
藤尾:先生はそれを「召喚」と呼ばれていますね。

真民:自分で起きるんじゃない、大いなるものに呼ばれて目覚めるのです。
   だから少しも苦痛じゃない。

P138~
藤尾:大宇宙の力を信じたら、そこに大和楽はあると

真民:信じるとかではなく、大宇宙の力というのは存在している。目に見えんだけの
         話です。
     いまこの空間にも電波は通っています。テレビもラジオも全部通っている。
     目には見えないけど通っている。
       弘法大師なんかはやはり大宇宙というのがわかっていた人ですね。
   だから寅の一刻で死んでいくんです。寅の一刻というのは午前3時半です。
         彼は絶食をしてちょうど3時30分に即身成仏する。
    
         (中略)
       ・・・だからそういう達人とか宗教の覚者という人たちは、寅の一刻の宇宙線、
       念派、波動、そういうのを分かったんですね。

        ぼくは霊能者と違いますから針で刺すように、ピンピンと波動はきません。
        それでも寅の一刻というのは、波動が1日のうちで一番宇宙線の強く動いている
        時刻。これはいえる。
    
        だから3時30分。ぼくは何十年、庭の朴の木の下で祈ります。そういうことが
        詩の中に表れてくるんでしょうね。あるいは病気にならんで済むのかもしれま
        せんね。あるいは家内が病気をして倒れてもどこかで助けてもらって、不思議に
        助かっていく。そういう不思議を与えて下さるのではないかと思います。
        それをいまの人はやらん。
        いつ日が出て、いつ夜が明けた。そういうのも知らんで終わる人もいる。
    
        (中略)

        そういう夜明けの、生き生きとした、大気の呼吸、息、宇宙の息に触れて、それを
        飲んで呼吸して摂取して1日を始めるという人も、もうおりませんな。
    
      (中略)



そして、こんな詩も書かれています。すみません、これって、私のことです・・・。

    日を昇るにも
    手をあわさず
    月の沈むにも
    心ひかれず
    あくせくとして
    一世を終えし人の
    いかに多きことぞ

    道のべに花咲けど見ず
    梢に鳥鳴けど聞かず
    せかせかとして
    過ぎゆく人の
    いかに多きことぞ

    二度とないこの人生を
    いかに生き
    いかに死するか
    耳かたむけることもなく
    うかうかとして
    老いたる人の
    いかに多きことぞ

    川の流れにも
    風の音にも
    告げ給う声のあることを
    知ろうとせず
    金に名誉に地位に
    狂奔し終わる人の
    いかに多きことぞ

    生死事大無常迅速
    時人を待たず噫々(ああ)


真民先生は身体が弱く、大病もされています。しかもかつては耳もあまり聞こえず、
メガネがなければ本も読めなかった。それが、毎朝自分の身体に感謝を捧げる、今日も
よろしくお願いしますと手を合わせていたら、いつのまにか身体は治り、目も見える
ようになっていた。

    P173~
    寅の一刻の礼拝をし、家に帰ってお経を読み、そして彼岸の祈りに出て重信川の
   大橋を渡ること30年、1万回を超える。そういうことを毎日やることができるのは、
   それはぼくの身体の中の全細胞、つまり五臓六腑、両手両足が私のために尽くしてくれる
   からだという感謝で今日のぼくがある。

    P184~
    真民:それで、3時半には家を出て4時には河原にいます。そして月の光り、星の
    光り、宇宙の霊気、それから日が出ると拝んで太陽の光を吸う。それが50兆の細胞の中
    に入っていくでしょう。これは楽しいですよ。2度とない人生を何も後悔しません。
    
    (中略)

    ・・・どうやって生きていくか、いかにして生きていくか、それがすべてです。
    精一杯生きたら、あとは神さま、仏さまにまかせる。
    がんで死のうと、交通事故で死のうと、あるいは飛行機が落ちて死のうと、信仰を
    もっていた人が助かったとか、何とかいうけれども、しかし、それはまた別問題で、
    一所懸命生きた人は死は考えなくていい。大事なのは、生きているときに精一杯
    生きるということです。


以上引用終わり


愛媛県には坂村真民先生の記念館もあります。

真民先生の詩集や本もぜひ読んでみて下さい。


坂村真民著『詩人の颯声を聴く』

坂村真民著『坂村真民一日一言』


それでは、また!

(有)テンプルビューティフル メルマガ654号 2017年8月12日配信

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