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0595:かつて前世マグダラのマリアだった女性のリーディング

0595:かつて前世マグダラのマリアだった女性のリーディング

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 ◆◇◆ かつて前世マグダラのマリアだった女性のリーディング ◆◇◆ 595号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

今日は、南仏旅行の余韻もあり、マグダラのマリアのリーディングのご紹介です。


不思議なことに南仏には、マグダラのマリアにまつわる教会がいくつもあります。

実際にマリアが南仏に移り住んだのか、南仏で亡くなったのか、その真偽は定かでは
ないものの、マグダラのマリアが30年以上も瞑想生活を送っていたという洞窟や、彼女
のものだと云われている頭蓋骨が聖遺骨として収められて教会まで存在しています。

もしかしたら、マグダラのマリア本人ではないにしても、どなたか高い霊性を兼ね備え
た聖女がイスラエルから南仏に移り住み、そこで生を終えたという事実があるのかもしれません。



さて、
聖書にはマグダラのマリアが娼婦であったとはっきりと書かれていないため、その記述
はある種の濡れ衣である説や、全く違ったマグダラのマリアの人生を書いたスピ系の本
があるようです。

しかし、マグダラのマリアの職業について、ケイシーははっきりと、イエスと会う前は
高級娼婦であったと述べています。

リーディングを受けた人の中に、実に、過去生でそのマグダラのマリア本人であったと
ケイシーから言われていた女性がいたのです。

その女性、295さんの過去生、マグダラのマリアだった人生について、ケイシーはこの
ように述べています。

『マルタとラザロの兄妹としてのマリアの経験を詳しく説明するにあたって、その当時
の経験における実体の活動について本当に多くを語れる。というのは、福音書の説明に
あるように、この実体は当時マグダラのマリアであったからだ。つまり、ローマ役人の
資格を持つ者やローマ市民、そして、その地の人々(イスラエル人)を相手に活動して
いた高級娼婦であった。

その人が主(イエス)に初めて出会ったのは、姦通罪で議会の前に引き出された女性と
してであった。彼女は、法律によって、当時の全議会また法廷から石打ちを命ぜられた
女性であった』295-8



さらに、イエスとマグダラのマリアは夫婦だった。少なくとも肉体関係はあり、マリア
はイエスの子供をもうけていた、といった内容の小説や、そのようなチャネリング本も
存在しています。

ダン・ブラウンの『ダビンチ・コード』も、イエス・キリストとマグダラのマリアは
夫婦で、2人の血を受け継いでいる人たちがいる、という言い伝えがベースとなって
書かれた小説でした。


これについてもケイシーは、はっきりと異を唱えています。

Q:『イエスは若かりし頃に、マルタの妹であったマリアを恋人として愛していたとい
うのは本当でしょうか? それともイエスは一度として恋人を持たなかったのでしょう
か?』   

A:『マルタの妹のマリアは売春婦であった――清められるまでは。イエスが愛した
であろう者ではない――イエスはすべての人を愛するとも。 親しい交わりによってもた
らされた肉体的あるいは子としての愛は、子供達との間にあった。大師イエスと同年代
の者に対するものではない』2067-7



イエスに出逢う前のマグダラのマリアがどのような女性だったか、ケイシーはこのよう
に述べています。

『主に出会う前の経験に関して言えば、それらはより世俗的な性質のものであった。
肉体に溺れ、放縦に溺れた期間であり、それが有罪判決をもたらした行為に結びついた
と同時に、虚飾、権力、豪奢さも、そうした視点から見れば、その期間の経験にもたら
した』295-8



放縦な生活をしていたマリアでしたが、それでもイエスに浄められた後は、真摯にイエ
スのもとで学び、硬い絆で結ばれた師弟関係を育んでいったのだと推測しています。

イエスも弟子として、深くマリアを愛し、信頼していたのではないでしょうか?

イエスが裁判にかけられ、磔になったとき、12弟子は早々に逃げだしていきましたが、
マリアは磔からイエスが亡くなるまで、イエスの母である聖母マリアと共にずっと立ち
会っていますし(こういうとき、女性は肝が据わっているのかもしれません)、イエス
も復活後、はじめて姿を現したのは12弟子の前ではなく、マグダラのマリアの前で
した。


Q:『この実体はキリストの昇天の場に居ましたか?』   
A:『確かに居た』295-8


『実体は、主が復活の朝に最初に現れたその人であった。多くの弟子や指導者達が助言
を求めに行った人であり、その様子が語られている様々な説明が現在にも残っている』
295-8


Q:『キリストが昇天した後、マリアへの、記録されていない特別なメッセージがあり
ましたか?』
A:『主が(マリアに)最初に現れ給うたということでは充分でないのか? 地上の事柄
の中で、(復活後の)主に最初に会ったということ以上のことがあるのか?』 295-8



次のリーディングは興味深いものの1つです。ヨハネによる福音書20章17節に書かれて
いる復活のイエスがどのような状態にあったか、ケイシーはこう説明しています。

Q:『主が、復活の後で初めて(マグダラの)マリアに姿を現わされた時、なぜ「わた
しに触れてはいけません」と言われたのですか?』   
A:『栄光を受けた身体で引き揚げられた波動は、肉体が高圧電流に触れるのと同じ
状態になった』262-87



マグダラのマリアの過去生を持つこの295-8さんは、その時の人生でイエスから受けた恩
をいくらかでも返していますか?聞きました。どうやら、この女性は、自分を責め、
人を咎める心のクセを持っていたようです。


ケイシーはこのように答えました。
『それは不可能だ! なぜなら、この実体も学び、そしてすべての魂が学ぶように、自分
を責めるということは、主の能力を責めることであるからだ。(中略)

主であるキリストは、地上に命を現された。それは、人々に仕えるために物質的な形に
命を現されただけでなく、命を捧げるために命を現し給うたのである。 主は「私は自分
の命を与える――私は自分自身のものを与え、自分自身のものを取る」と言われた。

それ故、どんなに返済しようとしても、返済することはできない! しかし、キリスト
の命、愛、喜び、平和、調和、恵み、栄光を現す人生を送るなら、その時、主の中に
喜びがもたらされる。なぜなら、主が地上に命を現されるからであり、現されたからで
ある』295-8 



最後に、少し長いですが、ケイシーが、この女性に与えたアドバイスをご紹介します。

これは295-8さんに与えられたリーディングですが、同時に21世紀に生きる私たちへの
メッセージでもあります。

Q:『この時の経験から実体はどんな教訓を学ぶべきなのか教えて下さい』 
A:『この人の人生に生じるほとんど同じような状況を克服し、従えることである。 
これらの影響力が人生の中で常に争っている。

というのも、ラザロを死から甦らせた清めの力すらも--それは一時のものであり--
生きるのは彼自身の命であったことを人は知らなければならないからである。

主の血によって、さよう 完全に 許されたが、しかし、生きるのは自分自身の命で
ある! 

しばしば用いられてきたたとえであるが、次のように説明できる。

クギを柱に打ち込んでも、クギは抜くことができる。しかし、その穴を取り去ることは
できない! 同じように、魂に残る傷跡、魂に触る傷跡は――悪魔がよくそうするが――
完全に消すことができない。主によって完全に清められない限りは。

それ故、主によって清められた者は誰もが、人々の間にあって、それぞれの人生におい
て、特別な使命、活動に召し出されたのであり、今も召し出されているのである。

それは、彼らが、魂として、命の一部として、全体の一部として、多くの人々に祝福を
現し与えられるようになるためである。この人も、人々の人生に祝福をもたらし得る。 

(中略)

今回の地上での人生においても、この実体が多くの人々への祝福の水路となり、人々が
人類の救い主であるキリストの愛という恵みを識り、その恵みを働かしめるよう、その
ようなものをもたらすような人生をこの実体が地上に現しますように』259-8



マグダラのマリアについてのリーディングを調べていたら、付随して、興味深いリー
ディングをいくつも見つけました。

そのリーディングは来週またご紹介できたらと思っています。


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それでは、また!

(有)テンプルビューティフル メルマガ595号 2016年5月13日配信

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