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◆◇◆ リーディングとは何か(ケイシーの談話から) ◆◇◆ 598号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。
ケイシー関連の本は、1度出版社で品切れになってしまうと、長く再版がなくなって
しまうことがあります。
エドガー・ケイシーが実際に書いたり話したり内容をまとめた『わが信ずること』も
その1冊。今日は、この本の中から、珠玉の1編をご紹介します。
全編読みたくなった方はお近くの図書館などで取り寄せて読んで下さいね。
書籍『わが信ずること』
1933年2月6日、スタディグループの初めての会合で行われたケイシーの談話「リー
ディングとは何か」から抜粋です。
翻訳は、たま出版を創業された瓜谷侑広さんです。1章まるまるご紹介するとかなり
長くなってしまいますので、約2/3ほどの量に短く抜き書きしています。
↓ ↓
私の一部にあまりにもなりすぎてしまったことを喋るのは、ちょうど私の顔は誰に似て
いるかを話すのに似て、ちょっとむつかしいことです。
リーディングが施されている間は、過去31年間25000回のいずれも、無意識の状態に
あったというのは誇張でもなんでもなく本当のことなのです。私自身は、私の口から
出るリーディングを、たった一語といえども聞いたことはありません。その私に何の
説明ができるでしょうか?
リーディングを施す最初のステップは次の通りです。服を脱ぎ、靴ひも、ネクタイ、
ワイシャツの袖口、そしてバンドなどをゆるめ、完全に寛いで、情報が完全に循環する
ような状態をつくります。
次に事務所の長椅子の上に横臥します。もしリーディングが身体上のことなら頭を南、
足を北に向け、人生上のことなら、その反対になります。このように向きに違いがある
のは、リーディングがそういうからであって、私はその理由を知りません。
私はリーディングの間じゅう、全くの無意識状態です。終わって意識を取り戻すと、
幾分長く眠って起きたような感じがします。そしてちょっと空腹を憶えるときが時々
あります。
私が眠っているときに「私」を通してやってくる情報の価値について、誰でも疑問を
抱くのは当然だと言えましょう。個人的に私が感じていることは、その価値はリーディ
ングを求める人が情報の源泉をどれだけ信頼し、どれだけ固い確信を持っているかと
いうことに大きく関わっているということです。
情報の源泉については当然、私は私なりの見解を持っています。しかし正直のところ、
31年もこの仕事をしてきたのに、無意識状態のために、ほとんど知らないのです。私が
言えることは、すべて推測の域を出ないといってよいでしょう。偉大な知識に対して、
私は何も文句はつけられません。私もまた手探り状態なのです。
実際問題として、催眠状態のとき、私が傍受する情報の源泉はただ1つではなく、いく
つもあるように思えるのです。源泉の1つは、明らかに個人あるいは実在が、いわゆる
時の経過の中で経験する記録の中にあります。魂の経験の総合計はアカシックレコード
として知られているものと同じように、各個人の潜在意識の中に書き留められていま
す。もし自分を正しく波動調整できれば誰でもこの記録を読み取れるのです。
私は自らの魂の波長を宇宙にひろがる普遍的な知識の源泉のそれに惜しみなくあわせ
きるため、自分の個性をも放棄してしまうことのできる数少ない人物の1人であることは
明らかだと思います。
これは決して誇張しようとして言っているのではありません。また他の人が先天的に
持っていないものを自分は持っている、などということを言いたいのではないのです。
本当のことを言って、私が持っているものと同じ能力を持っていない人が1人だって
いるとは考えたこともありません。人間はすべて例外なく自分が気づいている以上の
大きな力を持っているのは間違いないところであります。
ただし、これらの能力を開発するためには、自分個人への関心というものを喜んで超越
するということがなければならないのです。1年に1度でもいいから、自分の好みを
一応外して、それから完全に超越することを喜んでしてみたらどうでしょうか?
私が仕事をするに当たって、好ましくない影響をどのようにして防いでいるかと多くの
人に聞かれます。この質問に答えるために、私の子どものときの体験を話しましょう。
私は11歳から12歳にかけて、(旧約から新約まで全ページの)聖書を3回読み通しまし
た。現在まで56回も読みましたが、世の中には、これ以上読んだ人も確かにいると思い
ます。しかし私は生涯を通して毎年、1回は聖書を読み通すように努力してきました。
子どものとき私は、他人のために何かをすることができれば、とりわけ病気の子どもを
助けてあげることができればと祈りました。私の祈りは、天上界に聴きあげられ、答え
が返ってくることを私に確信させる幻覚をある日私は見たのでした。私は今もなお、
私の祈りには答えが与えられることを信じています。そして、無意識状態になるとき、
その信念を持って入るのです。
リーディングを求める人の欲望に、源泉が邪魔されることがない限り、それは宇宙その
ものからくるものであることを信じています。もちろん、その人が祖父や叔父、ある
いはその他の偉い魂から通信を得たいと強く望むなら、源泉はその通りになるのです。
私はこういうやり方を望む人を信用しないといっているのではありません。もしあなた
がジョー叔父さんの言いたいことを知りたいというならば、必ずその通りになります。
しかし、もっと宇宙的な源泉に接したいと思うとそうなります。つまり「望むものを
得る」ということでして、いわば両刃の剣なのです。どちらの道にも行けるのです。
~引用終わり~
この談話はケイシーが56歳頃のもの。バージニアビーチに引越し、リーディングを研究
啓蒙する団体AREを設立した頃にあたります。ケイシーにとってはリーディングの
理解者が増え、ケイシーの人生がようやく安定した頃の談話ではないでしょうか。
談話の中に、ケイシーが聖書を56回(つまり年齢と同じ回数だけ)読み通したと述べて
います。私も活字好きですから、実は何度か聖書の通読をトライしたのですが、途中、
ここは人の忍耐と信念を試すためだけに存在しているんじゃないかと思うほどの退屈な
章が横たわり、そのたびに挫折。
ケイシーが子どもの頃から年に1回聖書を読み通し、祈り続けてきたというその姿勢が
どれほどケイシーのリーディングの内容に影響を与えていたことか・・・。
ケイシー没後70年経っても、いまだに世界中の人の心と魂に訴える力があるのは、そん
なケイシーの慎ましやかで静かな時間の積み重ねがあったからこそではないかと。
ケイシーのリーディングの詳細は、ケイシーセンターのHPで解説されています。
ケイシーリーディングについて興味を持たれた方は、センターのサイトにアクセスして
下さい。
それでは、また!
(有)テンプルビューティフル メルマガ558号 2015年8月7日配信