エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

エドガー・ケイシー流 まぁるい 生活
0809:どんな状況でも、今いる場所は神の恵み

0809:どんな状況でも、今いる場所は神の恵み

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  ◆◇◆  どんな状況でも、今いる場所は神の恵み   ◆◇◆ 809号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

2020年は終戦75年目にあたります。

広島生まれということもあり、8月6日の朝は原爆ドーム前で迎えました。
今年はコロナもあり、記念式典は一般参列ができず、夜の灯籠流しも中止。
その分、例年よりもずいぶん静かな広島でした。

75年前の8月6日の朝、原爆の爆心地に程近いビルにいながら助かった方のエピソード
を知りました。

その方は、朝、職場に着いたら、いつも机の上に置いてある仕事の書類がないので地下に
取りに行って助かったそうです。「たまたま」その朝に限って書類を地下の書庫から出し
忘れた課長さん。そして原爆投下のその時間に「たまたま」地下の書庫に降りた男性。
何か大いなる力が働いていたのを感じます。
 インスタグラムの投稿



明日の8月15日の終戦の日といえば、終戦の詔勅ですね。

これは私の家族のトリビアですが、
終戦当時、大叔父は宮内省御用掛の職についていました。漢文がよくできたので、
当時、皇族方がお読みになる原稿などを書く仕事についており、終戦の詔勅が書かれた
一連の経緯を同僚として間近で体験しています。

大叔父が起草した(らしい)紀元2600年(1940年)の記念式典のご祝詞
当時のニュース映像をみると、一般参列者の皆さんもこの格調高い祝詞を普通に
理解されている様子ですが、私の日本語力だと全く理解できません。私には古文です。


さて、
1942年。戦地に赴いている息子を心配した母親からのリーディングが残っています。
戦時中は、息子の安否を伺うリーディング依頼があいつぎ、1日に取るリーディング
件数を増やしたことが原因の過労で、ケイシーはこの世を去ることになります。


戦地にいる息子は大丈夫か問う母に対し、ケイシーは非常に霊的な回答をしています。
かなり長文で、しかも難解なリーディングだったので、短く内容をカットしています。

ケイシーから、神にゆだねよと回答を得ながらも、息子が所属している部署について、
具体的な、しかも、親が口だし出来ないであろうことまで心配をしている姿に、いても
たってもいられない母親の様子が胸に迫ります。


1回読んだだけでは、理解できないところも多いと思います。
何度も読んで、ご自身の中に受け取れる部分があれば、感じてみてください。


『よろしい、われわれは[602]の身体と、その求める心を捉えた。(中略)
たしかに、この実体[602]の意識の中には、紛争や戦争や、軍事活動のあらゆる側面に
対する嫌悪が形成されている。
(中略)

主が示された生き方の手本に従うなら、人は、それぞれの人の内に備わる希望と信仰
の証拠を、いつも示せるようでなければならない。

人は、主の示された原理のために、その命すら喜んで手放すことができなければなら
ない。 その原理とは、奴隷になることの恐怖から自由にするだけでなく、自らの内に
ある信仰と希望に従って、自らの心の命ずるところに従って愛と犠牲と服従を捧げる
ことのできる自由をもたらし、地球全土を、人にとって、そして、これから生まれ
来ようとする魂にとって、真に良き所にするものである。

なるほど、個人のやるべき事として捉えるなら、これらは必然的に自分に関わるもの
となる。しかし、その自己すらも犠牲の祭壇に捧げなければならない時がある。
(中略)


あなたの原理、あなたの活動は神の目的に一致しているだろうか。
あなたは日々に次のように求めよ。
主よ、私に道を示してください。心において、目的において、動機において、誰にも
命ずることがありませぬように。しかし汝、おお神よ、道に、目的に導き給え。
(中略)


たとえ地上に争乱や紛争があろうとも、憎しみや嫉妬が渦巻こうとも、政治的、経済的
混乱があろうとも、地球は主のものであることを覚えよ。

神の道、主の道は今もなお見出し得る。

一日一日の小さなことに主の道を生きることで、自己に対する確信や、主に対する確信
があなたのものになるだろう。 なぜなら、主の約束は今も昔も確実だからだ。
 (中略)

あなたが人と語り合う時も、集会において人と交わる時も、あなたが主と共に歩んでいる
ことを他の人々が感じるような生き方、考え方、行動を心がけよ。
(中略)


Q)息子は、もっと家に近い部署に配置替えされないでしょうか。
A)可能かも知れないが、それが最善だろうか。 疑いと不安で環境を作るよりも、
神が、汝の息子に現れているごとく、人の子らに希望と愛と平安をもたらすことに
汝と汝の体を使って下さることを求めながら、それらすべてを汝の長兄の手と御心に
委ねてしまうほうが、さよう、汝の神の御手の内に委ねるほうが良くないだろうか。
 *長兄:イエスのこと


Q)いまいる所が息子にとって最善なのでしょうか? 
A)主の言葉をよく考えることだ。主はこう言われた。 「神の恵みによらずして、
人はいかなる地位にも就くことはできない」と。 それゆえ、機会は彼がいまいる所が
そうであり、彼がいまいる所の同胞の物質的、精神的、霊的生活をより良くすることに
知識を用いることである。 そのことを自分自身にしっかり教え込むことだ。


Q)息子が就ける部署で、もっと危険の少ないところはないでしょうか。
A)もし彼が神の御手にあるならば、またあなたと息子が生きるべきと知る人生を生きる
なら、いかなる部署についても危険はない!  あなたの心を乱しているこの状態を、
物質的側面からではなく、与えられた機会において人々に精神的、霊的祝福をもたらす
という視点で考えよ。


Q)息子は、軍隊ではなく何か防衛的な仕事の方がふさわしいのではないでしょうか。
A)もしそのような場所があるとするなら、いまの部署がそうではないのだろうか。
 既に与えられたことを学ぶなら、これらの質問の答を見出すだろう。 汝がいるところ
において、良き働きをせよ。そうすれば、主が道を開いてくださる! 

それは主の命、主の教えに一致していないだろうか? これらは受け入れられる価値が
ある。 これらは信頼される価値、それを生きるべき価値がある。今回はこれで終わる』
(602-7)



ケイシーが世界に残る書物のうち、「最も普遍的真理に近い偉大な教え」と述べた
『バガヴァッド・ギーター』の舞台も戦場です。

これから敵陣に向け、弓を射なければならない。しかも敵陣にいるのは、自分が幼い頃
一緒に過ごした親族であり師。そんな戦いはしたくないと嘆く主人公に、神クリシュナは
「戦え」と述べるその問答が延々と続く物語が、ギーターです。

私は上記で紹介したケイシーのリーディングを読みながら『バガヴァッド・ギーター』
を思い出していました。


どんな場所、どんな職や立場にいたとしても、今いる場所は神の恵み。
いまいる場所をより良くすることに知識を用いること。
神の御手にゆだねているなら、そして生きるべき人生を生きているなら、いかなる
仕事についても危険はない。 
今、自分がいるところで良き働きをする。そうすれば、神が道を開いてくださる。


家庭にあっても、職場にあっても、また友人関係や近所のつきあいにあっても、
様々な問題や、気に入らないことは起きてきます。

そんな中にあって、不平不満を言って過ごすのか、はたまた、自分の成長の機会に
するのか。毎日試されていますね。

戦後75年目の今年は、世界中が混乱のなかにありますが、
一日一日の小さなことに、一人ひとりが、その与えられた場所で、利己的な生き方
ではなく、良き働きをして、神の道を生きること。

そうすれば、主が道を開いてくださる! 

それを信じていきたいものです。

それではまた!


(有)テンプルビューティフル メルマガ809号 2020年8月14日配信

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