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◆◇◆ どんな「連鎖」の担い手になるか ◆◇◆ 620号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。
いま、山田ズーニーさんという文章や表現を教えていらっしゃる方の本をまとめて数冊
読んでいます。
『ほぼ日刊イトイ新聞』でも2000年から小論文教室の連載を続けておられ、そのバック
ナンバーは『ほぼ日』さんで読むことができます。
ブログ、ツイッター、フェイスブック、そしてメルマガと、誰もが言葉を使って何かを
伝えられる時代になっていますが、プロの書き手であるズーニーさんの本を通じて、
書くという姿勢、思う、考える、熟考するという姿勢あらためて感銘を受けています。
私自身、こうやって毎週メルマガを書き続けていますが、深く考える、言葉や表現に
繊細になる、ということは、全く出来ていなかったことに愕然とする思いです。
今日は、ズーニーさんが書かれた『人とつながる表現教室。』の中から、読者からも大
きな反響があったという「連鎖」を紹介させていただきます。
2005年に書かれたものなので、すでに読んだことがある、という方もいらっしゃるかも
しれません。原文はかなり長いので、一部のみの抜き書きとなるため、本文が持つ言葉
の力がどこまで伝わるか・・・。
時間のあるとき、電車の移動の時などを利用して全文と、その後の読者からのメールな
どを是非お読み下さい。
全文はこちらから
「連鎖」
「連鎖2」
~以下、「連鎖」の文章を短く抜き書き~
もうすっかりよくなったのだが、
こんなに人間好きな私が、
一時期、人間嫌いになっていたことがあった。
悪意のメールがきたのだ。
メールでは、ほんの小さな批判でも、
予想以上に、身体にこたえる。
そのときのそれははっきり悪意だった。
私は、生まれてはじめてはっきりと
人の悪意を浴びたような気がした。
私は、孤独とか、つらいことへの耐性はわりにある。
同情も心配も、されるのが大嫌いな私は、
だれにも言わず、自分で消化できるとぐっとがまんした。
ところが、メールをひらくことが恐くなり、
まっすぐメールを読むことが恐くなり、
しだいに人と会うことが億劫になっていった。
予想以上に、弱かった自分、
それもショックで、受け入れがたい事実だった。
思ったほど自分は強くはないんだな。
しばらく人との距離をおいていれば
一人じっと耐えれば、立ち直れると思った。
ところが、その、
いちばんそっとしておいてほしい時期に、
よりによって、母が田舎から出て来てしまったのだ。
私は、自分の腹の中で、
受け止められず、消化しきれなかった悪意を、
母にあたる、という最悪のカタチで発散してしまった。
母を泣かせてしまった。
母は顔が引きつっていた。
母がいったい何をしたろう?
あたられても、
母は、私を決して攻撃することはなかった。
私は、自分の持ちきれなかった悪意を、
自分より弱い、なんの罪もない母にぶつけてしまった。
そのことにさらに落ち込んだ。
どうして、悪意は、
強いものから、弱いものへ、
権力のあるものから、ないものへ、
おとなからこどもへと、はけ口を求めるのだろう?
悪意は連鎖する。
そう思ってはっとした。
私に悪意を向けた人、
その人の悪意はどこから来たのだろう?
その人も、私と同じように、
思ったほどは強くはない人間で、
私と同じように、消化できない悪意を受けて、
それを私にリレーしてしまったとしたら。
私の頭を、私がいままで傷つけてしまった人々、
私のせいで人に不快を与えてしまった数々の経験が
駆けめぐった。
あのときの、またあのときの、
自分が人に与えたストレス、
それが、めぐりめぐっていま、
自分に帰ってきているような気がした。
強いものから、弱いものへ
小賢しいものから、無垢なものへ
連鎖し、社会をめぐるストレス。
きれいごとでなく、
「ちゃんと生きなければ」と思った。
人は思ったほど強くない。
人にはできるだけ、優しくしなければと。
わたしは、悪意は、強いものから弱いものへと
リレーされていくといった。
でも、自分の腹でリレーをとめた母の方が、
ずっと強いのではないだろうか。
強さって何だろうか?
私は、自分のスケールにしては
高いハードルも飛び越え、
孤独によく耐えてきたつもりでいた。
でも、そのあとで、
たった3センチの段差につまづいて、
自分の力では立てない、というようなことを
繰り返しているような気がする。
人は乗り越えられないような大きな試練より、
たった3センチの段差につまづくものではないか。
いままで、自分がもっと強くなることで、
自分にふりかかる問題は、
すべてのり越えていくようなつもりでいた。
でも自分は思ったより強くはなかった。
弱い。
自分が弱いから、まわりをよくして、
世の中をよくして、まわりから支えていただく、
という方向も考えなければ。
世の中をよい連鎖がめぐって、
めぐりめぐって母にも、
自分が傷つけた人にも、
まわりから、何か返せるかもしれない。
~引用終わり~
2000年に放映された『ペイフォワード』という映画は、親切の連鎖を始める。人から
受けた親切をその本人に返すのではなく、他の誰かに実践し先送りする、ということが
テーマでした。
ズーニーさんから投げられた「連鎖」の一石。
お一人おひとりの心の中に、どんなさざ波が生まれたでしょうか。
『人とつながる表現教室。』
それでは、また!
(有)テンプルビューティフル メルマガ620号 2016年11月18日配信