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0581:100年前の日本人の身体を取り戻す

0581:100年前の日本人の身体を取り戻す

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     ◆◇◆ 100年前の日本人の身体を取り戻す   ◆◇◆ 581号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

連続で書く予定は全くなかったのに、3週連続で書くことになってしまいました。

書籍『座らない』から派生して、今日の話題は、古の日本人の身体と今の身体。

*『座らない』



母から聞いた、私の祖母の逸話です。

私の父は、小学校卒業直前に満蒙開拓青少年義勇軍として満州(中国東北部)に渡り、
ソ連の捕虜となった後、数年をシベリアの捕虜収容所で過ごし、帰国してきました。
帰国後しばらくは弟たちと山暮らしをしていたそうです。

その頃、祖母は、時々お米やお餅、野菜などをかついで息子達が住む山に届けることが
あったようなのですが、その届け方が凄かった。

夜、畑仕事と家事を終えると、お米やお餅などがぎっしり入ったリュックをかつぎ、
一山、ふた山と、夜の山道をひたすら歩き、明け方、父達がいる小屋に到着。
そしてリュックの中身を降ろすと、また山越えをして家に帰る・・・。

お腹が空いたら、火をおこしてリュックの中のお餅を焼いて食べたそうです。

山道を歩いたことがある方はご存じかと思いますが、夜の山は本当に暗いし怖い! 
山の中を夜通し歩いて、さらにとんぼ返り。

真っ暗な山道を一人歩ける祖母は肝と肚が座っていた女性だったでしょうが、祖母だけ
ではなく、明治から昭和を生きた人は、たいがいの人がそんな精神力と体力を持って
いたんでしょうね。
*ちなみに、夜、山道を歩いていると、よく狸に化かされたと、祖母は言っていたそう
です・・・。


その祖母をして、孫娘である私はひ弱を絵に描いたような子供。

秋にひいた風邪を春までグズグズいわせているような中高校生。学校まではバス通学で
したが、バスが遅れたり、いつものバスに乗り遅れて次のバスが来るのを待っていると
そのたった15分が待っていられない。よくバス停で倒れてました(涙)。


そんな脆弱な身体の私と祖母の身体は何が違うのか?

最近呼んだ本に、ヒントになるような記述がありましたので、ご紹介させていただきま
す。内田樹さん、光岡英稔さんというお二人の武道家の対談です。

『生存教室』


対談内容を少しご紹介します。


光岡「たとえば、戦前に撮影された山形県庄内の農婦たちの写真があります。彼女たち
は米俵5俵を担いでいます。米俵1俵が60キロですから総量300kgです。(中略)
そもそも一俵がなぜ60kgになったかご存じですか?」

内田「いや、知らないです」

光岡「明治初期に記された文書にこうあります。『誰にとっても肩に担げる持ちやすい
重量が60キロだから』

(中略)

光岡「私のところで稽古している人がこの話を聞いて『初めておじいさんの話が本当だ
と信じられた』と言っていました。彼のおじいさんが若いころ、友だちの家に遊びに
いったそうです。屋敷には米蔵があって、その友人は『持てるだけ持って帰っていい』
と言った。そしたらおじいさんは二俵担いで2時間くらいの道のりを歩いて帰ったそう
です。彼はその話をてっきり嘘だと思っていた。その当時の普通がいまでは信じられ
ないからです」


 
光岡「・・・こうしたエピソードでもわかるのは、現代人に身体はずいぶん衰えていること
です。古の身体からどんどん離れていっているんですよね。

自分が生きていく上で欠かせない足腰が抜けているから自信も持てず、自身の身体が
視えていないゆえに現代人は頭しか使えなくなっています。身体を動かすことなく頭の
中だけで辻褄を合わせようとして、他人の意見と自分の意見のすみ分けもできず、他人
から得た情報を自らの経験を通さず自分の意見のあるかのように勘違いする。他人の
言葉で語り、それを自分だと錯覚する。

生きるとはまずは自分一人で現実に向き合えるかどうかが大前提のはずです。しかしな
がら他人の意見を拠り所にする私たちは自立することを恐れ、それを肯定するイデオロ
ギーに幸せを感じるようになりさえする。

私はこれを人間の産業化として捉えています。産業革命以降の規格品を求めるような
動きの中で生じた身体観がもたらした精神と心理の変質ではないかと思っています。
規格品の製造に欠かせないのは『同じように・きちんと・早く』することです。

基準はあくまで外部にあって、それに自分を合わせていきます。その基準にかなえば
『能力がある』と評価されます』」



光岡「人間の自信は観念や概念ではなく、体から自然とみなぎるようにやってきます。
その自信の源はどこかというと足腰と肚の確かさです。ところが現代みたいに子どもの
頃から椅子ばかりに座り、大事な成長期の大半を椅子の上で過ごすと足腰や肚がなく
なっていかざるをえないのです。(中略)

多くの人は、一番物事が身につく6歳から18歳くらいまでをこうして座って過ごすわけ
です。いわば私たちは、足腰を消していく稽古をふだんからものすごくやってきている
わけです。どうしたって人間は足腰が立たないと、根本的に自信が持てないものです。

たぶん、昔の農民や商人はみんなそろって根拠のない自信を持っていたと思います。
いざという時は、自分でなんとかする。そういう自信がなぜあるのか。本人だってわか
らないでしょう。(中略)

デスクワークには足腰や肚は関係ありません。動かしているのは胸から上だけです。
古の時代では普通にあった身体を失っているし、無論足腰や肚は感じられない。
(以下略)」



光岡「・・・先述したように、私たちは、学校生活で、椅子の上に座って足腰を消す稽古を
最低でも12年間、1日の1/3くらいやってきた結果、しまいには頭しか使わないで済む体
になりました。西洋的な文明を取り入れた、いまにいたる我々のつくった社会がそうい
う身体になるよう要請し、また社会で生きる上ではある程度、新たに形成される社会性
に適応も必要なので、現代における身体観の全否定はできません」



内田「明治維新以降、徹底的に日本人はそういう『生々しい身体』を消してきた。
では、これからどうやってそのような身体を取り戻していけばいいんでしょう」

光岡「最近、講習会で田植えの姿勢をとってもらいます。先ほども言いましたが、古の
生活習慣の『普通』はしゃがむことだったと思います。しゃがみ立ちは生活の基本に
なります。(中略)風呂の火をたきつけたり調理したり、洗濯だってしゃがんだ姿勢で
行っていましたから。(中略)

では、中腰で足を少し開いて田植えの真似をしてもらえますか。そこから苗を植える
要領で後ろに進んでいきます。どうですか? 」

内田「(実演)けっこうきついです」

光岡「そうですよね、では、この姿勢で半日から1日作業すると想像してもらえますか?」

内田「いや、それは無理です!」

光岡「これがかつて昔の人が持っていた体のアベレージです。そうすると、少しだけ
昔の人の体なり足腰の位置がわかってきませんか。(以下略)」


*小柄な女性が300kgの米俵を背負っている写真は、光岡さんのインタビュー記事でも
ご覧いただけます。


江戸城無血開城の立役者の一人、山岡鉄舟は坐禅の修行に月2回、東京から静岡三島
までの片道100キロを夜通し草鞋で歩き、坐禅が終わると、また東京まで徒歩で帰ると
いうことを3年間続けていました。山岡鉄舟が活躍していたのは、つい150年ほど前。
往復200キロの道のりを2日で歩き通せる日本人が、いまどれほどいるか・・・。 


2013年に私は『スピリチュアルウオーカー』という本を読みました。
ブログ( 『スピリチュアル・ウォーカー』~5000年後の世界 )で紹介したときの
文章をそのまま貼り付けると・・・


ある人類学者が体験した5000年後の地球の姿が書かれている本なのですが、5000年後の
地球(あるいはハワイやアメリカ)は、いま私たちが享受している文明社会は崩壊し、
私たちがイメージする原始時代そのものの社会になっていました。ビルも工場も車も
飛行機もコンピュータも、すべて灰じんに化しています。

いまの社会が機能しなくなったとき、起こるであろうことについてハンクさんはこう
書いています。

『食糧と水を入手する手段が生存を可能にする決定的な要因となる。買いだめは避けら
れない運命をあとに延ばすことにしかなるまい。命の糧をすべて土地と海から得ること
ができる人々だけが生き残るだろう。

(中略) 

人間社会のその他の職業ーー政治家、ビジネスマン、銀行家、法律家、不動産業者、
商人といったものはーーたちまち意味も値打ちもなくなるだろう。食糧だけが、そして
それを生み出す知識と技術と能力を備えた者たちが価値を持つようになる。機械やガソ
リンを燃料とする船に頼らず、伝統的な方法で生活の糧を得られる人々だけが生き残る
ことになる・・・』


私はこの本を読んだとき感じたのは、混迷と変動の渦に入ったこれからの日本や地球
で必要になるのは『自分で生き抜く知恵と力』。胸から上だけで活動している私の
ようなヘナチョコは、何かあれば、すぐに淘汰されてしまう・・・。

経済破綻にしろ、自然災害にしろ、何か大きな変動に巻き込まれてしまったとき、とっ
さに最善な選択を見極め、どう行動できるか。オロオロあたふたしない自分でいる
には・・・?


このメルマガを長時間、座ったままで書いてる私が云うのもなんですが、どうやら足腰
や肚、想像以上に大事のよう。

つい100年前の日本人が持っていた足腰と肚の確かさ。取り戻したいですよね。

今年は、マメに動いて、マメにしゃがむ。確かな足腰と肚を築いていきましょう!


それでは、また!

(有)テンプルビューティフル メルマガ581号 2016年2月4日配信

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