エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

エドガー・ケイシー流 まぁるい 生活
0535:リーディング281-41後半

0535:リーディング281-41後半

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     ◆◇◆  リーディング281-41後半  ◆◇◆ 535号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

先週のメルマガでは、『祈りと瞑想』についてケイシーがどういったリーディングを
遺しているかをご紹介しました。

今週はその続き。
先週ご紹介したリーディング番号281-41の残り、後半部分です。


前半部分を再確認したい方は、先週のメルマガ534号をバックナンバーに掲載しました
ので、下記でご確認下さい。
0534:もっと聖なる時間を!


281-41後半

『・・・しかし、解剖学者の見出していない、想像力、精神を探求している人々にも見出
されていない、肉体的な接点がある。体内には通路があり、導管があり、分泌腺が
あることが見出されているが、生き、動き、思考する存在の内には、誰もその働きの
何たるかを知らないさまざまな活動がある! 

多くの人において、そのような働きは眠っている。多くは衰えている。なぜか?   

使わずにいるからであり、活動していないからだ! 食欲や自己耽溺などの欲望ばか
りがもっともらしく振る舞い、それらの能力をそのような方向に消耗してきたため
に、優れた活動のために人に与えられてきたそれらの能力を乱用し、誤用する人々の
霊的人生においては、いわば、たんなる廃棄物になるのである。

それ故、瞑想しようとするのであれば、汝の精神を清めよ。如何にしてか? それは
汝が清めに対してどのような概念を持っているかによる。汝にとってそれは他の様々
な事柄を混ぜ合わせることを意味するのだろうか。それとも、自我を脇にやること、
水で洗うこと、火によって清めること、そういうことだろうか? 

汝の概念がどのようであれ、内なる自己に真実であれ。汝が選択したところを生き
よ。実行せよ! 語るだけではなく、実行することだ!  

汝の体を清めよ。汝自身をこの世の煩いから遮断せよ。神と対面しようとするなら
自分が何を為すか考えよ。「なるほど。しかし、多くの人は神に語りかけることは
できない」と汝は言うだろう。 多くの人は恐れている、と言うだろう。何故にか?   

恵み深い神に近づくことができないほど汝らは遠くに逸脱してしまったのだろうか。 

神は、汝の欲するもの、汝の必要としているものをご存じである。だが、汝らが自分
自身の内にて実行するところの目的に応じてのみ、お与えになることができるので
ある。

それ故、汝の体を肉体的に清めよ。汝の体を聖別せよ。なぜなら、古(いにしえ)に
与えられた律法にあるように、主は、父がその子らに語りかけるように、明日にでも
汝と共に語られるであろうから。神が変わられたのだろうか? 汝らは、それほど
までにさ迷い離れてしまったのだろうか? 主は「汝ら我が民となるならば、我、
汝らの神とならん」「たとえ汝らが遠くさ迷うとも、汝らが呼ばわるなら、我はその
声を聞く」と与えられたのを知らないのか。

汝らの中に「なるほどそうだ。しかし、それは昔の人に語られた言葉であり、私たち
には関係のないことだ」と言う者があるとするなら、まことに、汝らには関わりの
ないことだ。

神を知ろうと望むなら、自分自身の魂を知ろうと望むなら、如何にして瞑想し、神に
語りかけるべきか知ろうと望むなら、神がおわすことを信じなければならない。神は
神の誡めを知り、それを実行しようと求める人々を報い給うことを信じなければなら
ない!  

汝らが内なる自己の中から神を呼びさえするなら、神が古に与えられたことは、人が
神との関係や神のご意志を初めて知ろうとした時と同じほど、今日も新しい。 汝の
体は生ける神の神殿であることを知れ。そこにおいて神は汝と会うことを約束された
のだ! 

汝らは恐れているのか? 恥じているのか? 汝自身の幕屋の中にて汝の神に会って
いただくことを恥じるほどに、汝は機会をないがしろにし、自らの体と心を卑しめて
きたのか?  

それ故、汝の家を整えないならば、汝に災いが臨む。既に述べたように、汝自身の
体の内に、汝自身の魂と精神との肉体的な接点があるからだ。汝らは、針に触れば
痛みを感じるということを、誰かから教えてもらわなければならないのか? 

そのような認識は、脳との間で神経系を通して行き来する意識の活動であると汝らは
教えられる。それと同じように、永遠なるものとの接点が汝の肉体の内にあるのだ。 
そこには、いつの日か砕かれる鉢があり、いつの日か汝の肉体から断ち切られる紐が
あるのだ。そして、体から去るということは神の御前に出るということなのである。

汝の神とは何か? 汝の願いは、明日食べられるだろうか、何を着ればよいのだろう
か、ということだけに置かれているのだろうか?そのようなことを汝自身の意識の
一大事にしてしまうとは、なんと信仰薄き者、希望薄き者であろうか! 

汝らは、神のものであることを知らぬのか? 汝らは、神によって造られたるもの
なのだ。神は、汝が滅びないことを望んでこられた。しかし、汝らが神との関係に
目覚めるかどうかということすら、汝らに任されてこられた。 

汝自身の家、汝自身の体に、近づく手段がある――それは、何よりもまず神を知ろう
と欲することによってである。

そして、他の誰かが言うからではなく、汝自身がその妨げになると知っているもの、
そのように感じられるものすらを、汝の体と心から掃き清めることで、その願望を
実行することによってである。 それは誰か他の人に言ってもらうものではない!   

かつてモーゼが言ったように、汝らにメッセージをもたらすものは、天から降りて
くる者でも、海の果てから来る者でもない。しかし見よ、汝らが瞑想し、心と精神を
開きさえするなら、汝らは汝自身の心の内に、汝自身の意識の内に、神を見出すの
である! 

汝らが、神にしていただきたいと求めることを汝ら自身が行えるよう、汝の体と心を
水路となさしめよ! そうすることで、汝らは神を知るようになる。

あなたが兄弟に対して行おうとしないことを、自分には神からしてもらおうと求めて
いるのだろうか? もしそうなら、あなたは利己的であり、神を知ることはできな
い。 なぜなら、汝のもっとも小さき兄弟に為すことを、汝は自らの造り主に対して
為すからだ。

これは単なる言葉ではない。汝らがいくらかでも神を知ろうとするならば、それは
汝らの経験するところとなる。なぜなら、神はもはや見出せなくなった存在では
ない。

汝らが神を知ろうとするなら、神に心を合わせよ。向き直り、見上げ、望み、神が
汝と顔を合わせて会ってくださることを期待するように行動せよ。 造り主との関係
を知ろうと求める人々のもとに来られた時、主は「恐れるな、私だ」と言われた。 
夜の闇の中、主が水の上を歩いて来られたとき、彼らは恐れた。そうだ、あなた方の
多くもまた、汝らが聞くところの事柄のために恐れるようになる。

なぜなら、汝らは「私には理解できません。わかりません!  」と言う。なぜか。 
汝らは、汝自身の意識において造り主を知るという機会を無効にしてしまうほど、
汝の体と心と意識を卑しめてしまったのか? 

そうであるなら、あなた方すべてに告ぐ。

汝の体、汝の心を清めよ。祈りによって自らを聖別せよ。しかし「私が他の者のよう
でないことを感謝します」と祈った者のようであってはならない。むしろ、(イエス
が対比して語られたところのあの貧しき者が持っていた)あの謙虚さが汝の心になけ
ればならない。

なぜなら、汝らが神を知ろうと思うなら、汝らは自らをゆずらなければならないから
だ。そして、心を開き、求め、罪を悔いる心を持って、汝に道が示されることを願う
ことだ。

汝に道が示されたなら、他の道に顔を向けてはならない。汝に示された幻視(ビジョ
ン)に忠実であれ。そうすれば主が語り給う。なぜなら、主の約束は昔も今も「汝ら
が呼ばわるなら、私は聞き、速やかに答えん」であるからだ。

主が語られるとき、汝のものであるところの機会と栄光に汝の心と精神を開け。 

それらの機会と栄光は、瞑想によって汝の意識、汝の願望を生ける神に同調させて
受け入れさえするなら、汝のものであるからだ。そして、かつて主が与えられた「他
の人々はするままに任せておこう。しかし、私は、礼拝する。そう、私は生ける神に
仕える」という言葉を自らの内に語り聞かせ、それを生きよ。

主は汝から遠からじ!主は汝の右手よりなお近し。主は汝の心の戸口に立ち給う!   
汝は主を招き入れるや? それとも、主を立ち去らせるだろうか?』


長く、力のこもったこのリーディング。読み返すほどに、地にひれ伏す思いがしま
す。私は何もコメントをすることができません。お一人お一人でケイシーからのメッ
セージをしっかり受け取っていただければと思います。


今回は『祝福の水路』についてもご紹介する予定でしたが、あまりにもこの後半部分
が心にズンと重く、我が身を振り返ってみれば、まさにここに書かれていることは、
私自身のことでもあります。

ということで『祝福の水路』に話題を移す前に、少なくとも、この1週間は何度も
何度もこのリーディングに集中し、読み返していきたいと思います。

『祝福の水路』については、またあらためて紹介させて下さい。


『日本人にとって、祈りとは何か?』というテーマでブログもアップしています。


それではまた!


(有)テンプルビューティフル メルマガ535号 2014年5月16日配信

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