エドガー・ケイシーを暮らしに活かす!ホリスティックの第一人者、Edgar Cayce専門サイトからあなたへ贈るメッセージ集

0489:幸せのレベル

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        ◆◇◆   幸せのレベル  ◆◇◆ 489号
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(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。

先日ふと気がつくと、このメルマガをご登録して下さっている方が14000人を超えて
いました(本日現在14021名)。けっこう感動しています。

ありがとうございます!


ちょうど10年前に書き始めたこのメルマガ。内容が内容だけに、地味にひっそり
書き続けています。

14000人という数に書いている本人が一番驚いたんですが、実のところ、どんな方が
読んで下さっているのか、もっというと、本当に読んで下さっているのか、数字だけ
では、全然実感が湧きません。
*メルマガでセミナーを告知すると、すぐに申し込みが入り始めるので「あ~、この
方は読んで下さったんだな」と分かる程度です・・・。

これを励みにまた書き始めますので、どうぞよろしくお願いします!


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


さて、
唐突ですが、今日のトピックは『幸せ』について。


以前読んだ本にこんな内容のことが書かれていました(どの本に書いてあったか、
探してみたんですが、原典が見つからなかったので、記憶を頼りに書いています。
具体的な数字は本とは違っていることをお詫びします)。


人の幸福感についての調査で、このような結果がでたそうです。

『自分の年収が600万円で、廻りの人の年収が800万円』のときと、
『自分の年収が400万円で、廻りの人の年収が300万円』

どっちが幸せを感じるか・・・。


答えは、後者。

たとえ年収は増えても、廻りの人の年収が自分より高ければ人は不幸だし、年収は
少なくても、他の人より高ければ幸せ・・・。

もちろんこれは他の条件を考慮せずに取られた調査ではありますが、幸せかどうかっ
て、廻りとの比較によって左右される。それに驚いた調査結果でした。


テンプルを始める前、私は日本エドガー・ケイシーセンターでフルタイムの事務を
担当していたことがあります。センターからの給料が月3万円。別に通販もしていた
ので、そちらからの給料が3万円。

つまり30代にして月収6万円でした…。

当時のことは、メルマガにも書きました(7年前のものです)。
 ↓
「いつのまにか10周年」メルマガ149号


お金を基準にすると、当時の私は「不幸な人」にカテゴライズされるんでしょうが、
本人の感じとしては、その反対。自分が不幸だと感じることなく、日々を楽しく充実
して過ごしていました(*前提条件として、住むところが確保されていた、という
ことはあります。健康保険と年金はずっと未払いでしたが・・・)。


この時よりさらに10年ほど遡って、まだ広島に住んでいる頃、当時、仲の良かった
友人がこんなことを言っていました。

「私、鉛筆をナイフで削っているときが、一番幸せ」と。

おそらく、鉛筆をナイフで削るという行為だけではなく、その時の静寂や平和な
感じ、廻りの環境、そういったもの全てが含まれた「幸福感」なのだと思いますが、
私には「鉛筆を削る」と「幸せ」が結びつかず、でも、そんなありふれた生活の
ひとコマでさえ幸せだと言える友人を羨ましくも感じていました。


2006年のメルマガで私は、アリゾナに訪ねたグラディス・マクギャレイ医学博士が、
とにかく何にでも感動される、毎日青空なのに、その青空にすら感動される姿に驚い
たことを書きました。
「感動の筋肉を鍛える」メルマガ130号


ケイシーのリーディングにこんな言葉があります。

「あなたは自分の精神的自己、霊的自己の中において、自分が望むだけ幸福である
こともできれば、みじめであることもできる。あなたはどれだけみじめでありたいの
か?」  2995-3

Q)「結婚すると、二人は幸福で仲良くやって行けますか」?
A)「これは、そのように作り上げていく状態である。それ自体が存在しているわけ
ではない」939-1


そうなんですよね。

幸せを求めて探し歩いても、どこかに「幸せ」が存在しているわけではないんです
よね。そう感じられる自分であるかどうかだけで・・・。

幸せになるための条件設定をし、その成就に幸せを求めている限り、それが手に入ら
なければ不幸せ、それに至る道のりも不幸せ、ということになってしまいます。


過去の私も、ナイフで鉛筆を削る時間が幸せだという友人の言葉に驚き、青空がきれ
いだと立ち止まるグラディス博士に驚きました。


「鉛筆を削っているのが幸せだなんて、なんと幸せのレベルが低いんだろう」「昨日
もおとといも空は青かった」と、内なる幸福感より、人に認められる「大きな幸せ」
を求めていた自分がいたようにも思います。


年齢を経て、ようやく、内なる幸せ感に充足している自分がいます。幸せのレベルは
どんどん下げたほうが「幸せ」だと思っています。

人から「こんなことで幸せを感じるあなたは幸せ」と言われるくらいに・・・。


以前読んだ雑誌に「『今日も温かいお布団で眠れる。幸せ、幸せ』といって就寝し、
『あ~、今日も目が醒めた。幸せ、幸せ』といって起きるお祖母さんのエピソードが
投稿がされていて、なんて素敵な方なんだろう、と感動したことがあります。

友人もグラディス博士も幸せ探しが上手でした。いつだって、幸せなことに満ちあふ
れていました。


冒頭で、自分の収入の金額ではなく、廻りの収入がそれより高いか低いかで人は幸せ
か否かが変わる、という調査をご紹介しました。

幸せの評価を他人との比較に置いているなら、どんな状況になっても、欲求不満が
残ってしまいます。でも幸せの評価を自分に戻し、さらに幸せのレベルをどんどん
下げていけば、幸せの種はいくらでも落ちています。


そもそも、飢餓や内戦の続く国に生まれず、この豊かな日本に生まれたことがすでに
幸せだとも言えますし・・・。


幸せ探しは、最初、少しの練習が必要かもしれません。

でも、鉛筆を削っている時間も、空が青いのも「幸せ」だと感じていいんです。


私も、今日こうやってメルマガを配信できて、幸せであります・・・。


それではまた!

(有)テンプルビューティフル メルマガ489号 2013年6月14日配信

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